はじめに
私が読書を始めたキッカケや他に読んだ書籍については,以下のページにまとめています。
基本情報
| タイトル | キャリア教育のウソ |
|---|---|
| 著者 | 児美川 孝一郎 |
| 出版社 | 筑摩書房 |
| 発売日 | 2013年06月15日 |
| ページ数 | 190ページ |
概要と感想
本書は表面的なキャリア教育の危うさについて警鐘を鳴らしている。「やりたいこと」を追い求めるキャリアは果たして正義なのだろうか。予測不可能な社会において,キャリア教育など可能なのだろうか。このような観点について,本書では鋭く切り込んでおり,「キャリア教育とはこういうものだろう」という曖昧な理解で社会がキャリア教育を推進することによる弊害を柔らかな語り口で解説している。
そもそもキャリア教育は,1999年の教育審議会の答申で初めて登場した用語である。キャリア教育の必要性は「若年層の就労・雇用問題の深刻化」であり,2003年の「若者自立・挑戦プラン」によれば,この問題の原因は「将来の目標が立てられない,目標実現のための実行力が不足する若年層が増加」としている。若者の就職難による影響は日本の経済基盤を崩壊させ,社会保障システムの機能不全を引き起こす。この影響を抑えるための処方箋として,キャリア教育という概念は社会に放たれた。
このような背景で推進されたキャリア教育は,児美川によれば以下の理由から視野が狭いという。
- キャリア教育の焦点が,職業や就労だけに当たってしまっている
- キャリア教育への取り組みが,学校教育全体のものになっていない
前者はキャリア教育の目的が「就職すること」となっている点を指摘しており,後者は学校教育にキャリア教育が組み込まれずに「浮く」ことで方策ありきの教育となっている点を指摘している。
本書では,キャリア教育の定義を次のように述べている。
社会的な存在である人は,人生の履歴において,さまざまな「役割」を引き受けながら生きていく。それは,役割を引き受けるという仕方で社会に参加し,貢献していくことでもある。
そして,そうした「役割」を担うことができるように成長すること,そのことを,自分の「生き方」として,自分の中に統合していけることが「キャリア発達」である。その「キャリア発達」のための力量形成に資するのが,「キャリア教育」なのである。
「キャリア教育のウソ」p.53より引用
その上で,次のように指摘する。
雑駁に言ってしまえば,「キャリア教育」の概念は,これほどまでに広い。にもかかわらず,世間では,そして教育現場でも多くの場合,これよりもはるかに狭い範囲の教育活動を想定して,それを「キャリア教育」であると理解している。
「キャリア教育のウソ」p.53より引用
この狭いキャリア教育においては,アメリカを中心として発展してきた「キャリアガイダンス」という概念をベースとした学習方針が前提となっている。
- 自己理解
- 職業理解
- キャリアプラン
そして,これらには1.→2.→3.という順序性が仮定されているのだという。1.は往々にして「やりたいこと」の発掘から始まるが,そもそも雇用制度に守られて「人材」を採用する日本社会においては,職業としてのやりたいこと探しは相性が悪い。すなわち,キャリア教育において「やりたいこと」にとらわれると,次のような問題が生じるという。
- 日本ではジョブに応じた採用や育成がなされないことが多い
- 「やりたいこと」の見つけ方が,主観的な視点に偏ってしまう
- 「やりたいこと」を,その実現可能性や社会的意味との関係で理解する視点が弱い
具体的には,本書では次のように指摘している。
結局,僕が言いたいのは,大学生も含めて子どもたちに「やりたいこと(仕事)」を見つけさせたとしても,その選択の根拠は,ずいぶんと"底の浅い"ものになる可能性が強いということである。
そんなことをするくらいであれば,子どもや若者には,現在の日本の産業構造がどうなっていて,職業構成がどう変化し,実際の職場における労働(仕事)の実態が,いかなる状況にあるのかといった,職業や仕事についての理解を深める学習に力を入れることを薦めたい。
…個人的な提案ではあるが,流行りのキャリア教育が<「やりたいこと(仕事)」の選択肢→その職業(仕事)について調べ学習>といったベクトルでの段階論に立っているとしたら,そんなことはすぐにでもやめたほうがいい。そうではなくて,「やりたいこと」探しと,さまざまな職業(仕事)調べとは,同時並行的に,相互に影響を及ぼしあうように取り組まれるべきであろう。
「キャリア教育のウソ」p.53, p.76より引用
本書ではこのような視野の狭いキャリア教育を「俗流キャリア教育」と呼んでおり,その背景は「若年雇用問題の深刻化」であり,「フリーター防止」が目的であった。たしかに,正社員とフリーターでは生涯賃金の差は大きい。しかし,生涯賃金という物差しだけでキャリアのゴールを定めてよいのかは別問題である。さらに,生涯賃金の算出方法も終身雇用・年功序列を前提としたものであり,現代社会に当てはめるのは無理がある話だ。また,仮に正社員を目指すことが正義だとした場合に,
- 「正社員になれば絶対に安定だ」という固定観念を植え付けてしまう
- 正社員になれなかった子に対し,「あなたの努力が足りなかったからだ」という自己責任論を押し付けてしまう
のようなリスクがある点にも注意が必要である。このような現状に対し,児美川は次のように表現する。
高校生たちは,…若年労働市場の現状を"わがごと"として見抜いている。…大人たちは,キャリア教育の推進によってフリーターを予防しようなどと"夢想"している。これは,かなり"滑稽な"風景ではないか。
もうそろそろ,そんなキャリア教育はやめにしたい。…「現実」を前提にしたうえで,そのことへの「対応」を含めた教育へと転換すべきである。
「キャリア教育のウソ」p.148-149より引用
本来,キャリア教育における自己理解で求めるべきアウトプットは自分の「価値観」や「軸」であるべきだ。「価値観」や「軸」が理解できていれば,どれだけ社会の変化が激しくて予測可能性が低くても,自分にとってピッタリな「やりたいこと(仕事)」を見つけられる可能性が高いということである。この「価値観」や「軸」はキャリア・アンカーとも通じる概念であり,その上で"いざというとき"への準備としてキャリア・アダプタビリティが必要となる。
職業選択をする際に,「やりたいこと」「やれること」「やるべきこと」という視点のバランスを考え,その三者が交わるところで進路決定をすれば,その実現可能性は格段に高まると児美川は述べている。まさにWill・Can・Mustに基づくキャリア教育である。児美川はWill偏重のキャリア教育,特にWillの前に情報集めをしないことや,「価値観」や「軸」に基づかないWill探しに対して警鐘を鳴らしている。「やるべきこと」を通して社会的な役割を自覚して全うしていくことが大切であるという。
続けて,児美川は職場体験のあり方についても言及している。
職場体験(インターンシップ)そのものが無意味なわけではない。しかし,それを意味のあるものにするためには,中・高での連携や積み上げも含めて,学校教育全体を通じたキャリア教育のなかに有機的に位置づけられる必要がある。そうではなく,職場体験だけが"突出"してしまうような流行りの実施方法では,ただのイベントにとどまってしまうだろう。
「キャリア教育のウソ」p.53, p.76より引用
児美川はさらに,キャリアプランニングを立てることに対する疑義も表明している。
- そもそも,将来のキャリアなんて計画できるのか
- "その後の変更もありうる"前提で計画を立ててみるとしても,プランニングのための基礎となる学習は,十分になされているのか
前者はシンプルで,流動性・不確実性の高い現代社会において将来を見通したキャリアプランニングを立てることは難しいことを指している。クランボルツの計画的偶発性理論でも述べられているように,長期にわたる個人のキャリアは計画に基づいてのみ行われるものではなく,めぐってきた偶然のチャンスを活かすことが大切である。クランボルツの調査によれば,18歳の頃に就きたいと考えていた職業に現在就いている人は全体の約2%にすぎなかったといい,「もうキャリアプランはいらない」とも主張している。
後者は,本来キャリアプランの作成前には下準備,すなわち雇用のしくみ,納税や公民権,結婚や離婚,家族経営について十分に学習しておく必要があるが,そのような時間が確保できず,下準備なしにキャリアプランを作成している現状がある。そうすると,社会において「普通」とされているステレオタイプなキャリアプランが作成されることになるが,流動性・不確実性の高い現代社会においては「普通」が成立し得なくなっているため,そのようなキャリアプランは腐ってしまうことになるだろう。
以上の内容を,児美川は次のように表現している。
"土壌"を耕しもせずに,キャリアプランという"果実"だけを収穫しようとしているのが,現在の実践であることになる。…生徒たちは,結局のところ,何の迷いも緊張感もなく,いま現在の日本社会において「フツー」と認識されるステレオタイプにしたがって,自らのキャリアプランを書き込んでいくのではなかろうか。
「キャリア教育のウソ」p.131より引用
だからこそ,キャリア教育は学校全体で取り組まれるべきマターである。例えば,家庭科や国語の授業と連動させてもよいだろう。キャリアプラン作成前に,生徒に対して多様な可能性や選択肢に気付かせるような素材を提供する必要がある。このように学校教育全体でキャリア教育に取り組めない理由として,児美川は二点挙げている。
- 日本社会では,いまだに「正社員モデル」への"信仰"が厚い
- 高校や大学はそうした"信仰"を利用し,少子化の中での"生き残り"を賭けて,就職実績をめぐる学校間競争に奔走している
1.があるから2.が生まれるという構造になっているため,1.をなくすことが根本解決の糸口となる。具体的には,全員が正社員として就職できる訳ではないため,非正規雇用に対する準備教育と卒業後のフォローを充実させる必要がある。児美川はさらに具体的に,次の内容が必要であると説く。
- 「非正規」での働き方の多様な形態,それぞれのメリット・デメリット等についての学習
- 次のステップ(正社員など。専門性を身につけて非正規で生き続ける選択肢もある)への見通しの立て方の練習
- 公的な職業訓練や求職者支援などについての情報提供
- 労働法についての学習,相談・支援機関についての情報提供
- 同じプロセスを歩むことになる者どうしの仲間づくり
なお,若干管理人による意訳を追加した。3.〜5.は非正規雇用として生きていく上での「武器」ともいえ,これらを意識的に取り入れていくことが重要である。
最後に,本書の内容をよく表す引用で締めくくることにする。
「自立」とは,人に援助を求めないことではなく,他者との相互の「支えあいの関係」のなかに上手に入っていくことにほかならない。ただ,こうした点をすべて認めたうえで,それでも残るのが個人の「責任」の領域なのではないか。そして「標準」が崩壊しつつある転換期においては,この「責任」の領域は,以前とは比べられないくらい広がっている。
…君たちの目の前に「未来マップ」というものが存在するとしよう。しかし,その地図は,頼りなく透き通ったような印紙で,うっすらとした地形しか書き込まれていない。現時点でも想定しうる「将来」がないわけではないから,その地図は白紙ではない。しかし,それを頼りに旅に出ようとするには,いかにも心もとない代物である。基本的な情報が不足している。
…だったら,旅に出るにあたっては「羅針盤」を持とう。…「羅針盤」は,自分の生き方の「軸」である。自分のなかでじっくりと育て,磨き上げていってほしい。
「キャリア教育のウソ」p.167, p181-182より引用


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