基本情報
| タイトル | プロカウンセラーの聞く技術 |
|---|---|
| 著者 | 東山 紘久 |
| 出版社 | 創元社 |
| 発売日 | 2000年09月01日 |
| ページ数 | 224ページ |
はじめに
私が読書を始めたキッカケや他に読んだ書籍については,以下のページにまとめています。

概要

感想
本書は,プロカウンセラーであり京都大学名誉教授でもある東山氏により,「聞く」という行為の本質を平易に解説した一冊である。著者は傾聴の神様とも称されるカール・ロジャーズの研究所への留学経験を持ち,その知見は極めて深い。他の入門書とは一線を画すほどに本質を突いた内容は,オリジナリティ溢れる語り口も相まって,最後まで知的好奇心を刺激される構成となっている。
この世に多弁な聖者が存在しないように,古来より「話すこと」よりも「聴くこと」に価値が置かれてきた。これは,情報の主導権を握っているのが発信者ではなく,実は受信者の側だからである。相互理解によって成り立つ人間関係において,相手を深く知るためには,受信者として真摯に情報を収集しなければならない。真実に基づいた,嘘のない,そして信頼に値する人間関係を築き上げるためには,「相手の話を聴く」というプロセスが不可欠なのである。
カウンセラーは,人から秘密の話や時には深刻な悩みを聞く仕事だが,そうした内容をあえて「忘れる」からこそ,多くの人の話を継続的に聴き続けることができる。著者はこれを「避雷針になる」と表現している。プロの聞き手は,愚痴や怒りといった相談者の溜まった感情をすべて吐き出してもらうが,それらを自分の内に溜め込まず,地面へと受け流すようにしているという。
私はこの観点を,「あくまで相手は相手と割り切り,相手の準拠枠(物事の見方や基準)に立って,事実と気持ちを理解すること」だと捉えている。逆に,「相手の気持ちを自分のことのように取り込む」という方向は危険である。なぜなら,相手の負の感情を自分の中に蓄積させてしまうことになるからだ。
きょうから避雷針になって,関係者のぐちの聞き役になってみてください。避雷針の役割ができれば,あなたも健康だし,ぐちった相手も健康になります。そのうえ,あなたは相手から好かれるのです。いいことずくめでしょう。
『プロカウンセラーの聞く技術』p.46より引用
避雷針に関連して,本書の後半では「わかるが勝ち」という表現が登場する。「相手の話は相手のこと」と割り切ることで,自分の感情をかき乱されず,穏やかな心で話を聴くことができるという。そのためには,相手の心に対する深い理解が不可欠である。
同様の観点から,カウンセラーは相談者の話に興味が湧きすぎてしまうと,かえって聴くことが難しくなるという。なぜなら,自分の関心や感情をフィルターにして話を聴いてしまうからだ。「共感」ではなく「同感」してしまうことにより,相談者の真の気持ちとのズレが生じてしまう。プロはあくまで相手を中心に据えて話を聴き,たとえ興味のない話題であっても,その世界を追体験することで相手の準拠枠を理解しようと努めるのである。
聞き上手は、相手の話を聴いている最中に余計な口挟みをしないし、ましてや自分のことを語り出したりもしない。自分の話をしようと考えた瞬間、心はすでに「聴き手」から「話し手」のモードに切り替わってしまっているからだ。人間は本来、聴くよりも話すことを好む生き物である。そのため、よほど意識していないと、ついつい聴き手モードが話し手モードへと入れ替わってしまう。
同様に、人間は本来「教えたがり」な生き物でもある。聴き手は無意識にアドバイスを送るような態度で話を聴きがちだが、心のケアにおいては、むしろ相手から「教えてもらう」という謙虚な姿勢で耳を傾ける必要があるのだ。
私自身も傾聴を学ぶ中で、「自分が話さなければ、相手は何もしてくれないと感じて不満を溜めてしまうのではないか」と不安に感じたことがある。この疑問に対し、著者は本書の中で次のように答えている。
新米のカウンセラーは,来談者から「先生は何も言ってくれないのですか。助言もしてくれないのですか」と詰問されるようなことがあります。これは,自分の話をするしないと関係なく,来談者が,カウンセラーの防衛的な,頼りない,自分をわかってくれないことにいらだっているのです。
少しベテランのカウセラーになると,このような詰問や,問いかけをされることはまずありません。本当はベテランのカウンセラーのほうが,よく来談者の話を聞いて,自分から話をしないものなのです。もし,あなたが話し手から,「何も言ってくれないのですか」と,言われたなら,あなたは聞き手ではありますが関与が足りないということです。
『プロカウンセラーの聞く技術』p.57より引用
カウンセラーが自分の個人的な話を控えるのは、話し手に強い影響を与えすぎるのを避けるためである。聞き手のカリスマ性が高い場合、一種の宗教的な依存関係が生じてしまう恐れがある。カウンセリングにおいて、話し手が聞き手に過度に依存するのを防ぐためにも、自分の話を抑えて適切な距離感を保つことは極めて重要なのである。
話を聴くときは、「自分には他人の人生をどうこうすることはできない」という事実をしっかりと認識する必要がある。たとえば、子どもが「遊ぼうよ」と言ってきた際、「仕事が忙しいからあとでね」と返してしまうことがあるだろう。たとえ子どもが仕事の終わるタイミングを見計らって声をかけたとしても、「終わったばかりだから少し休憩させてよ」と返してしまうこともある。人間は、どうしても自分中心に物事を考えてしまう生き物なのだ。カウンセラーにできるのは、あくまで「相手のタイミング」で話を聴くことだけである。
また、正解がある質問と、正解がない質問を切り分けて聴くこともポイントだ。正解がない問いに対しては、聞き手は「難しいですね」としか答えようがない。話し手は「質問に答えてくれない」と不満を感じるかもしれないが、たとえば「いつ結婚するのか」と問い詰められて「わからない」と答えるのと同様に、正解のない問題に無理やり答えを出す必要はないのである。この誠実さは、本書の中で「オープンであること・嘘をつかないこと・飾らないこと」といった言葉でも表現されている。
私自身、過去の経験を振り返ると、話し手を尊重できずに自分の意見を押し付けてしまうことが多々あった。そんな自分に深く刺さる一節を最後に紹介したい。
聞き手は話し手より偉くはないことを自覚しているべきです。それでもついつい人の悩みを聞くと,自分がその人より偉いと感じ,助言をしてしまうことが多いものです。話し手との平等性を確保している聞き手は,尊敬していい人です。
『プロカウンセラーの聞く技術』p.85より引用
素直に話を聴くことは、訓練なしでは不可能なほどに難しいという。例えば「どう生きればいいか」という問いに対し、「それは君が自分で考えることだ」と突き放したり、「一緒に考えよう」と歩み寄ったりするのは、無意識のうちに「聞く」から「言う」モードに切り替わってしまっている証拠だ。これでは、素直に聴いているとは言えない。
本当の意味で素直に話を聴くとは、「あなたがそう思っているのだから、今のあなたにとってはそれが真実なのだ」と、心の中でそのままを受け入れることを指す。著者は別の章で、この「あなたはあなた」という距離感について、次のように言語化している。
聞き手は,話し手が話しているときは同じ舞台に立って,名優の「聞き手」を演じられることが大切ですが,舞台の外にまでそれを持ち出すことはできません。できると思っているほうが危険なのです。共感性とは心の世界のことなのです。聞き手は「大人である」ことが必要です。だから聞き手はいくら共感しても,話し手に代わって演じようとはせず,あくまでも立場をわきまえた大人であることが必要です。
『プロカウンセラーの聞く技術』p.146より引用
カウンセリングでは「いま・ここ」の感覚が何より大切だという。過去の過ちや未来の不安にとらわれるのではなく、いま目の前にいる話し手のありのままを受容するということだ。「いま・ここで、あなたが生きている」――その事実を丸ごと受け止めることが、何よりも救いになる場面も多いのだろう。
自分の感情をどれだけ相手に関わらせているかの度合いを「自我関与度」と呼ぶ。聞き手の自我関与度が低いと、話し手は「聞いてもらえている」という実感が持てず、話す意欲を失ってしまう。これは、私自身が失敗を重ねてきた原因でもある。少し前までの私は、特に親しい間柄において、どこか評論家気取りで自我関与度が低い状態にいた。相手から「今、何を考えてるの?」と聞き返されるほど、話し手への関心を示せていなかったのだと思う。それにもかかわらず、外野から相手を評価し、アドバイスを送り、持論を押し付けていた。「聞く技術」を学べば学ぶほど、当時の自分の振る舞いに嫌気がさす。評論家は「正しさ」を求めるが、聞き手は相手の弱さや心の闇までも受け入れなければならないのだ。
人は往々にして、「積極的に聞こう」とすると、つい「尋ねる」ことをしてしまう。しかし、「聞く」ことと「尋ねる(質問する)」ことは全くの別物である。前者は話し手の意図に沿ったものだが、後者は聞き手の知りたいという意図に沿ったものだ。だからこそ、相手から無理に話を聞き出そうとすることは、カウンセリングでは禁忌とされる。たとえ相手が本題に入るまでの助走が長くても、聞き手は穏やかに待ち続けることが求められるのである。
聞く態度の基本は、聞き手と話し手が対等な関係にあることだ。例えば、大人が子どもに対して「いくつなの?」と聞くのは、無意識に上から目線で接している証拠である。大人が大人に対して、初対面でいきなり「年齢は?」と聞くことはまずないだろう。このように、私たちは知らず知らずのうちに、対等な関係から外れた状態で話を聴いてしまっているのである。
ここは本書でも非常に印象的な部分だが、話を聴く大前提としての「信頼関係」を築くためには、まず約束を守ることが不可欠であり、たとえ遅刻の理由が電車の遅延であっても言い訳をしないことが大切だという。鶏が先か卵が先かの議論かもしれないが、もし信頼関係が十分に築かれていれば、相手は「あなたが遅れたのなら、何かやむを得ない事情があったに違いない」と解釈してくれるはずだ。逆に、電車の遅延を言い訳にしたいという心理が働くなら、それは日頃から時間に遅れることを後ろめたく感じていることの表れでもある。だからこそ、余計に外的な要因のせいにしたくなってしまうのだ。
主語を大きくしすぎるのは避けたいが、世間ではよく「男性は論理、女性は感情」といった対比が語られる。社会生活では感情よりも論理が優先されがちなため、プライベートな関係にまでその価値観を持ち込み、論理を優先させて人間関係を崩壊させてしまうケースは少なくない。論理と感情が衝突したとき、必要なのは正しい理屈を説明することではなく、まず相手の感情を受け入れることである。私自身、この点については耳が痛い思いだが、感情を先に受け入れることで結果的に双方が納得できる状態を作れた、という成功体験を積んでからは、自分自身の振る舞いも少しずつ変わっていった感覚がある。

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