基本情報
| タイトル | 学校がウソくさい 新時代の教育改造ルール |
|---|---|
| 著者 | 藤原 和博 |
| 出版社 | 朝日新聞出版 |
| 発売日 | 2023年06月13日 |
| ページ数 | 304ページ |
はじめに
私が読書を始めたキッカケや他に読んだ書籍については,以下のページにまとめています。

概要

感想
民間出身で初めて公立中学校の校長を務めた藤原氏の著書である。現場での実体験や政権との関わりを踏まえ,未来の学校のあり方を提言している。著者は,形骸化した仕組みや本質から目を背けてごまかす姿勢を「ウソくさい」と切り捨て,教育現場のリアルな実態を描き出す。
ひとつ断っておきたいのは,著者も私も,現場で日々奮闘されている先生方を心から尊敬しているということだ。教員を貶める意図は一切ない。あくまで現在の状況を客観的に見つめ直し,状況を良くするための手立てを建設的に探っていきたい。
高度経済成長期には正解を教え込む教育が推進され,社会もそれでうまく回っていた。しかし1998年以降,日本は成熟社会へ突入した。社会が複雑化し,子どもや家庭環境の多様化が進んでいる。結果として学力分布はフタコブラクダのように二極化しているにもかかわらず,教育現場ではいまだに中間層に向けた従来の一斉授業が続けられている。
著者はツーブロック禁止のような校則について,ベテラン教員がかつて経験した学校の荒れを回避するために設けられた側面が強いと指摘する。多様性が求められる時代に,特定の髪型と風紀の乱れを盲目的に結びつけるのは短絡的だ。教員と生徒がお互いの意思を尊重し,議論を重ねていく姿勢が求められる。また,アルバイトを一律に禁止することも生徒の持つ可能性の芽を摘む行為だと言及している。
スマートフォンに関しても,授業が崩壊するのではないかという恐れから解禁をためらうケースは多い。しかし生徒を信じて持ち込みを認めた学校の成功例を見ると,その懸念は必ずしも当たらないことがわかってきた。さらに授業中の利用を禁じて端末を取り上げてしまえば,非常時などに持ち出せなくなる危険が生じる。そのためスマートフォンの没収はむしろ避けるべきだと著者は説いている。
著者は,いじめは起きて当然のものだと主張する。大人の社会でも起こる以上,学校現場でいじめを完全にゼロにするのは不可能だからだ。むしろ問題が起きた後にどう対応するかが問われるのであり,隠蔽などは言語道断である。実のところ,これにはいじめが隠蔽されやすいある種のカラクリが働いているという。
いわゆる担任ガチャと呼ばれるような教員の当たり外れも,生じて当然のものとして受け止めている。だからこそ,オンラインの授業動画などをうまく活用するべきなのだ。質の高い授業をオンデマンドで提供できるため,教員の苦手分野をオンライン動画で補うといった方針は理にかなっている。
校長は,攻めのマネジメントを行う1割と,守りのマネジメントに留まる9割に分かれるという。攻めとは,人や物,資金,情報,時間といった経営資源を組み合わせて子どもの未来を拓く改革を行うことだ。対して守りとは,教頭の延長として現状維持の事務作業をこなすにとどまる姿勢を指す。本来,校長は自校のあらゆる権限を握っているにもかかわらず,それを行使せずに居座るケースが多いようだ。これは,校長が学校組織の頂点に立つ構造に起因している。それ以上出世する必要がないため,自ら進んで改革に挑む動機が薄れてしまうのだ。あるいは,大量の事務作業をこなす教頭時代に疲弊しきってしまい,校長に昇進した頃にはかつての熱意を失っているパターンもある。
まともな校長を見分ける基準として,著者は3つの観点を提示している。制服の価格設定という課題に向き合っているか,図書室を有効に活用しているか,そして避難所となるような居場所を作っているかだ。どれも攻めの姿勢がなければ目を向けないポイントである。最後の要素については著者の思い入れも透けて見えるが,十分に納得できる指標だ。
動かない校長が多い中で教育改革を進めるには,行政を巻き込んだ大きな動きが欠かせない。知事から県教育委員会の教育長,学校長,教員,そして保護者へとつながる協力体制であり,著者はこれをロイヤル・ストレート・フラッシュと表現している。もう一つ,全国に3万人いる校長を思い切ってリストラするという過激な案も示されている。教頭を校長代理に引き上げたり,新たに有志を募ったりすれば,十分に実現できる策だという。
「学校と先生とは何か」という問いに答えられる人は多くない。筆者はそれぞれ
- 学校:自立して学び続けられるように集団の力で良い学習習慣と生活習慣をつける装置
- 先生:児童生徒の,できないことをできるように,わからないことをわかるようにする仕事
と定義する。教員が生徒を完全に理解させ,自力で解けるように導くことはできない。教員ができるのは,あくまで分かったつもりや,できたつもりにさせることだけだ。それを確かな実力へと引き上げるには,他人に教えたり自ら問題を作ったりする経験が欠かせない。日々人に教える教員自身が,この構造によって深い理解を体得できているというわけだ。
筆者の提言は
- 授業の半分はオンライン動画を生徒に見せる
- 教員の書類仕事については徹底的にDX化する
- 教員ではないフォース(地域社会等)を導入する
- 教員の兼業を認める
- 校長をリストラして教員が余計な仕事を命じられるのを防ぐ
である。詳細は本書に譲るが,学校改革はまず書類の削減から始められると著者は主張している。書類仕事の中でも,特にアンケート業務が現場の大きな負担になっているという。いじめ調査のような社会的要請によるものや定常的なものがあるにせよ,実施は必要最低限に絞り込むべきだ。学校に下ろす前に市区町村の段階で推定値を出すなど,現場の無駄な処理を減らすための精査が欠かせない。また,役人が学校へ責任を転嫁するためのアリバイ作りである収容文書も,本質的には不要だと切り捨てている。教育という営みが,いかに政治的な力学と切り離せないかを痛感させられる。
さらに著者は,AIが普及した高度社会では,基礎学力としての情報処理力を土台としつつも,情報編集力がより重要になると説く。情報処理力をジグソーパズルとするなら,情報編集力はレゴブロックだ。想像力を働かせ,正解のない問いに自ら仮説を立てて検証し,立ち向かっていく力を伸ばしていかなければならない。これは多くの大人にとっても,耳の痛い指摘である。
最後に筆者は,グローバル人材の要件を以下のようにしている。
- コミュニケーション・リテラシー(異なる考えを持つ他者と交流しながら自分を成長させること)
- ロジカルシンキング・リテラシー(常識や前例を疑いながら柔らかく複眼思考すること)
- シミュレーション・リテラシー(頭の中でモデルを描き試行錯誤しながら類推すること)
- ロールプレイ・リテラシー(他社の立場になり考えや思いを想像すること)
- プレゼンテーション・リテラシー(相手とアイディアを共有するために表現すること)
本書の中では,これらのリテラシーと教科との繋がりを論じている。

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