【読書記録】プロカウンセラーの共感の技術

目次

はじめに

私が読書を始めたキッカケや他に読んだ書籍については,以下のページにまとめています。

基本情報

タイトルプロカウンセラーの共感の技術
著者杉原 保史
出版社創元社
発売日2015年01月21日
ページ数216ページ

概要と感想

本書はカウンセリングの第一線で悩みを聴き続けるカウンセラーが,共感を解説するものである。体系立てられた書籍というより,テーマごとに各章独立して読み進められるような構成になっている。全部で42章あるが,タイトルを眺めるだけでも本書で伝えたいことが透けて見えてくるだろう。

多くの書籍では共感を「相手の感じているのと同じ感情を具体的にそっくりそのまま感じること」と定義するが,本書では「誰一人として同じ感覚を持つ人はいない」という前提のもと,「個人の境界線を超えてあなたと私の間に響き合う心の現象,つまり,人と人とが関わり合い,互いに影響し合うプロセス」であると定義している。相手とぴったり同じ感情になることが共感なのではない。むしろ,互いの心の響き合いを感じながら関わっていくプロセスであり,それを促進していくための注意の向け方や表現のあり方などを指すのである。

共感をプロセスとして捉える考え方は,まさに『心理学に学ぶ鏡の傾聴』でも述べられているロジャーズによる傾聴の第三期と共通するものであり,個人的には非常にしっくりきている。「相手と同じ感情である」という考えは,所詮自己満足に過ぎない。相手と全く同じ感情にはなれないという前提に立てば,互いの気持ちを融合させていくプロセスそのものこそが共感であるといえるのだろう。

まず筆者は,感じることは努力のいらない行為であると説いている。

私たちは,一瞬,一瞬のこの今の現実を生き,感じています。にもかかわらず,「感じていること」にまったく注意を払わず,「考えること」に没頭し,アタマの中に作り出された観念の世界の中で生きていることが実に多いのです。…「感じていることに注意を向ける」ことが必要です。…誰でも,いつでも,何かを感じています。「感じない」ということはありえません。…ただ,そこに注意を向けるかどうかの問題です。

…リラックスして,感じていることに注意を向けてみましょう。それが"共感"の始まりです。

…力を抜いてください。…共感は努力してするものではありません。

『プロカウンセラーの共感の技術』p.34-36より引用

感じていることに注意を向けると,様々な感情が思い浮かんでくるだろう。共感のプロセスでは,これらの感情に対して価値判断抜きでありのままを受け入れることが大切である。仮に自分のコンプレックスが刺激されていたとしても,相手に同意できなくても,共感できないと感じても,それらをそのまま放っておくのである。そうすると,いつのまにか相手に共感できるようになっているとのことだ。

我々は自分の視点からなかなか離れることができないため,ついつい「それは正しい」「それは間違っている」「やめたほうがいい」「素晴らしい」など,自分の価値観を押し付けてしまいそうになる。自分の感情を放っておくことで,これらの価値判断から離れることができるはずだ。

自分の意見を脇に置いて放っておくことは目的ではない。共感的なスタンスをとり続けるための手段である。多くの人は共感を受動的なプロセスであると捉えているが,相手に表現しなければ共感にはならない。このとき,表情,姿勢,視線,声,ジェスチャーなどの技術が必要になるだろう。また,共感は相手との共同作業であるともいえるため,例えば「Aさんは共感力が低い」のように特定個人の共感力を絶対的に評価することはできない。共感とはAさんと相手とのプロセスそのものだからだ。


受容はよく「現状肯定」と誤解されやすい。つまり,受容は「今のままでもよいのだ」という価値判断を含むものではなく,「現状はこうなのだ」と力まず穏やかに認識することに他ならない。価値判断を保留にした状態で,そのままに,ありのままに受け止める態度が受容であり,そこで感じられることに注意を向けることが共感なのである。

共感を狭義で捉えると,相手の視点に立ちながらありのままに感じるということになるが,受容と共感は相手の変化を促進する効果も持つ。本書ではそのメカニズムを明確に記述した箇所は見当たらなかったが,「受容」「共感」「変化促進」は相互に影響し合って螺旋状に深まっていくものであると説明されている。ゆえに,受容・共感・変化促進という区別は人為的であるともいえ,共感を広い意味で捉えると,こうしたプロセス全体のことを指すものなのであろう。


多くの場合,悩みの本質は葛藤である。二つの矛盾する面を同時に見つめることができずに混乱してしまっている状態なのである。この場合に大切なのは,「すぐに白黒つけようとしないこと」「穏やかに包み込むように接すること」であるという。聴き手が矛盾する両面が同時に存在できることを穏やかに表現すれば,話し手も徐々に建設的な判断に開かれるようになるはずだ。

共感には「浅い共感」と「深い共感」があるという。浅い共感は明確な内容から成っており,深い共感は曖昧な内容から成っている。深い共感のプロセスというのは,心の奥底にある曖昧なものを,表層まで引っ張り上げてくる共同作業であるともいえるだろう。

共感のプロセスを経ると,相手の気持ちと自分の気持ちの境界線がぼやけていく。言い換えれば,発言の主語が曖昧になっていくということでもある。例えば「寂しいなぁ」という言葉は,自分が寂しいのか相手が寂しいのか曖昧であるという意味で,成熟した共感の表現であるといえる。だからこそ,積極的な自己開示が共感を深めていくのである。

そのような意味で,共感とは非常に勇気がいるものである。「何を言っているんですか」「全然違います」と一蹴されてしまう可能性がある中で,自分を表現する必要があるからだ。共感とはプロセスであるから,このような境界線を超えるような勇気のある行動なしには,共感することはできないのである。

ポジティブな感情の体験を自分に許していないと,相手とポジティブな感情を楽しんで分け合うことができなくなってしまう。また,プライドの高い人は,ポジティブな感情と「私は特別にすごい人間だ」という信念を肯定されたときの安堵感を混同してしまうことがある。共感を行う上では,これらの感覚を大切にし,まずは認識する必要がある。人は自分の中に認めたくない部分をたくさん持っている。そのような領域の存在に気づけることがまず大切で,その上で「そういう領域があるんだなぁ」と穏やかに感じることが共感のスタートになる。


本書では家族への共感が難しい理由が記されている。長年共に過ごしてきた関係であるがゆえに,暗黙の了解として膨大な文脈を共有しており,それらがバイアスとなって「ありのままを受け止める」ことを阻害するため,家族への共感は難易度が高くなるのだという。家族への共感ができずに落ち込んでいるとしても,そもそも困難なことであるため,卑下する必要はないのである。

相手のことを本気で考え,本気で心配し,本気で関わろうとするとき,ついカッとなって暴力的に振る舞ってしまうことがある。これは「相手にとって何が良いことかは自分が一番よく知っており,相手はただその通りにすればよいのだ」という,共感とは真反対の傲慢な考えに基づくものである。人間にはこのような傾向が本質的に備わっており,この振る舞いを完全に防ぐためには「誰とも本気で関わらないこと」以外に方法はない。しかし,大切なのはその後の行動である。我に返ったとき,素直に自分の過ちを認めて軌道修正をすることにより,再び共感のプロセスに戻ることができるのだ。共感とは「失われた共感」を共感自体で癒し,太く育てていくプロセスでもあるのである。

この「共感を共感で育てる」という観点は,私自身に欠如していたものである。プライドの高さゆえ,我に返ったときに素直に過ちを認めることができず,自分が正義だと思い込んでいるため,大きなきっかけがなければ我に返ることさえない。自分が傷つくのを恐れ,誰とも本気で関わろうとしない。このようなスタンスでいる以上,真に共感することはいつまで経ってもできないのであろう。失ってしまった共感は共感で取り戻すことができるということを理解した上で,まずはありのままの自分を認めることから始めてみたいと思う。

参考文献

創元社
¥1,540 (2026/02/01 16:01時点 | 楽天市場調べ)
シェアはこちらからお願いします!

コメント

コメントする

※ Please enter your comments in Japanese to distinguish from spam.

目次