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【読書記録】カール・ロジャーズ カウンセリングの原点

基本情報

タイトルカール・ロジャーズ カウンセリングの原点
著者諸富 祥彦
出版社KADOKAWA
発売日2021年03月24日
ページ数462ページ

はじめに

私が読書を始めたキッカケや他に読んだ書籍については,以下のページにまとめています。

概要

感想

本書の概要は,本書冒頭を引用することで紹介したい。

本書は,ロジャーズの思想と方法の本質―その中心は,過激なまでに徹底的な自由と「真に自分が自分として生きること」の追求,そしてその援助方法の実践化であろう―を,自分らしく生きることが困難になってしまったかに見える現代という時代の文脈において問い直すものである。…ロジャーズの「概説書」ではない。

『カール・ロジャーズ カウンセリングの原点』p.3, p.8より引用

私はこれまで10冊以上の傾聴に関する書籍を読んできており,名著に出会う度に「これは傾聴を学ぶ上で必読書であろう」と感じてきたが,本書はその中でも間違いなくナンバーワンである。カール・ロジャーズを熟知している諸富氏が,自身のバイアスをもメタ認知したうえで,他の書籍とは一線を画する語り口でロジャーズの生涯とその解釈を述べている。多くの書物ではロジャーズを神格化しがちだが,諸富氏はリスペクトを込めつつも,彼が一人の人間であり,「影」の部分も存在することを赤裸々に解説している。類稀なロジャーズの解説書といえるだろう。もし私が「傾聴のおすすめ書籍は何か」と問われれば,迷わず本書を推薦する。

まず,諸富氏は世間一般のロジャーズ理解は浅いと指摘する。

ロジャーズの説いた「共感」「受容」などの言葉は,一見あまりにわかりやすいがために,ロジャーズ自身の著作を読むこともなく,なんとなく「人間としての温かさ」のように曖昧に理解されるにとどまっている。人文・社会科学系の思想や理論には,表現の平易さがあだとなって,すぐに「わかったつもり」になられて誤解され,本質的な理解が妨げられてしまうケースがしばしばある。ロジャーズの「受容」「共感」「一致」などはまさにその典型的なケースである。

…残念ながら,我が国の大学や大学院で教鞭をとっている心理学者の大半が,ロジャーズの著作をまともに読んだことすらないだろう。ロジャーズをわかっている,知っていると思っている人の9割以上は,無理解と誤解の域を出ていない。よく知られているわりに,著作が丹念に読まれることもなく「わかったつもり」にとどまり,本質的な理解にはまったく至っていない。ロジャーズは,その典型的な人物である。

『カール・ロジャーズ カウンセリングの原点』p.4より引用

以下の部分も,本書がロジャーズの本質を的確に捉えていることを示している。

ロジャーズの思想と方法の本質の一端は,そのラディカルさ(徹底性/過激さ)にある。彼は,治療者と治療される者との関係を,教師と生徒の関係を,夫婦関係や恋人関係を,これまでとまったく異質のものに転換しようとした。さまざまな人間関係についてまわる,凝り固まった常識や通念や硬直した倫理を木っ端微塵に粉砕し,人間をそれから解放しようとした。ロジャーズが一部の人から「永遠の非行少年」と呼ばれるゆえんである。

…筆者の目に映っているロジャーズは,徹底的に自由で,自分自身であることにどこまでも忠実な人であった。その純粋さ,自由さは,不器用なほどであり,それゆえロジャーズはしばしば非社会的になり,自分を閉ざした。誤解を生み,他者との衝突も稀ではなかった。

『カール・ロジャーズ カウンセリングの原点』p.4, p.10より引用

また,本書ではロジャーズを語る際のバイアスについても,以下のように俯瞰的な意見が述べられている。

当然のことであるが,ロジャーズであれ,フロイトであれ,ユングであれ,「いつの,そのような在り方をしていたその人」に頂点を当てて人物像を描くかによって,描かれるイメージはまったく異なってくる。この「立脚点」「視点」の特異性を離れた「ロジャーズそのもの」「ユングそのもの」「フロイトそのもの」など存在しはしない。人物研究の基本である。このようなことをわざわざ言ったのは,ロジャーズに限らず,心理療法家についての著作が書かれる時,「どの時代の,何歳の,どのような状態のその人」に主たる立脚点をおいたか曖昧なまま書かれたものが少なくないからである。

『カール・ロジャーズ カウンセリングの原点』p.10より引用

ロジャーズが取り組んだ対象は人間関係そのものであり,決して「治療者と治療される者との関係」に限定されない。時にはラディカルな夫婦関係(今でいうオープン・マリッジ)を提唱するなど,ロジャーズ自身が「一致」を体現することで,自由に人間関係の在り方を展開してきたのである。

ロジャーズは「徹底的に自分らしく生きること」を至上命題として掲げているように思える。それは自身の家庭環境に由来する原体験に対しても,周囲のあらゆる人間に対しても同様である。自分らしく生きるために必要なのは,自分が自分自身であることを許してくれる誰かと,「真実を語り合い,聴き合える関係」を築くことだと彼は考える。カウンセリングが目指す方向は,学校や企業への「適応」ではなく,人が真に自分らしく生きるための「援助」なのだ。これは徹底的に個の自由を尊重する思想である。

例えば,学校や会社に行けない人を無理に行かせるのではなく,その状態をありのままに受け入れ,耳を傾ける。結果として,組織を離れるという選択を取る可能性も孕んでいる。これはロジャーズの生命に対する絶対的な信頼,すなわち,あらゆる生命体は自らの可能性を実現しようとする「実現傾向」を備えているという考えに基づいている。それは決して単なる「楽天主義」ではない。社会への適合を脇に置き,固定的な枠組みに自分を当てはめず,先が見えない不安定な変化のプロセスに身を投じる。怖れと闘いながら瞬間瞬間を生きる,極めてラディカルな生き方なのである。

私自身も最近実感したことだが,人が自分らしく生きるためには,たった一人でも「本当の理解者」が傍にいてくれることが不可欠である。その理解者となるための要素こそが「共感的な傾聴」だ。多くの場合,この主体は専門職として語られがちだが,保育士,上司,パートナー,あるいは紛争国の政治家同士であってもよい。ロジャーズが生涯をかけて主張してきたことは,あらゆる人間関係を根本から再構築し得る破壊力を秘めている。


本書では,ロジャーズを理解するための5つのキーワードを挙げている。

真に自分自身となる

ロジャーズの著書『On Becoming a Person』 (Rogers, 1961) のタイトルからも分かるように,人が「一人の人間になる」ことは非常に難しい課題なのである。人は,「周囲の人の期待に応えたい,この社会から取り残されたくない」という思いを抱えるうちに,自分でも気づかないうちに自分を見失っていく。ロジャーズが発見したのは,人を内側からていねいに理解してくれる人がいるならば,おのずと,定型的なパターン化された思考をやめていき,自分自身の内側に入り,内側で思考し,内側から言葉を発するようになっていくということである。

内臓感覚

人が真に自分自身となる過程において,「内側の,言葉にならない大切な何か」に即して言葉を探すようになる。その言葉にならない「何か」に触れながら自分自身の言葉を取り戻すとき,人は自分の内臓感覚から言葉を発するようになるのだ。このことをロジャーズは「五感と内臓感覚での体験」と表現した。「なんて言っていいか分からないのですが…」「うーん…」のような言葉を発するとき,人は内臓感覚から言葉を発しようとしている予兆ともいえる。

受容・共感・一致

人が真に自分自身となる過程において内臓感覚に触れるためには,「深い,ほんものの傾聴」が必要である。この傾聴には「受容・共感・一致」という3つの側面がある。受容とは,迷える人を「ただそのまま受け止めていく姿」のことであり,「あなたはそのままでいい」と肯定することではない。共感は共感的理解とも表現されるが,自分の語ろうとしていることを,自分自身の内側から,自分と同じように理解してもらえているということである。一致とは,話を聴いている人自身が,自分の内臓感覚にダイレクトにアクセスし,そこでものを考え,生きていることである。

内側からの理解

「深い,ほんものの傾聴」をすることで,人が真に自分自身となる過程において内臓感覚に触れるとき,相手を内側から理解することが大切である。外側から理解するのではない。あたかもその人自身になりきったかのようなつもりで,その人自身の内側の視点に立って,ありありと推測し想像しながら,その人の心の世界を味わい,一つに溶けあい,ともに体験することである。私自身,この「内側からの理解」,言い換えれば「相手の内側に入り込んで,相手の持つものの見方や感じ方や考え方のフレームを自分でもつけてみて,その人の内側に広がる世界を体験する」ことが非常に苦手であった。傾聴やロジャーズと出会ったことで,少しだけ「内側からの理解」ができるようになった気がする。当然,まだまだではあるが。

静かなる革命

ロジャーズは「人間関係の改革による人間変容」を世界のあらゆる分野に適用しようとした。その分野は教育革命,企業革命,結婚革命,政治革命などにおよび,人間関係から静かに変化を生み出したことからロジャーズは「静かなる革命家」とも呼ばれている。


諸富氏がロジャーズに惹かれたきっかけは,『On Becoming a Person』の中でロジャーズが人生で学んだことを記した「14の言葉」だという。この箇所は,彼が専門家の鎧を脱ぎ,読者に直接語りかけている。

  1. 他者との関係において,あたかも自分自身でないかのように振る舞っても,それは結局援助にはなりえない
  2. 自分が自分自身に受容的に耳を傾けることができる時,そして,自分自身になることができる時,私は援助においてより効果的でありうる
  3. 自分に他者を理解することを許すことができるなら,そのことはとても大きな価値を持つ
  4. 他の人が私に自分の感情や私的な世界観を伝えるためのチャンネルを開いておくのは,実り多いことである
  5. 他者を受け入れることができれば,多くのものを得ることができる
  6. 私は,自分や他者のうちなるリアリティに開かれていればいるほど,急いでものごとを処理しようとしなくなる
  7. 私は,自分の体験を信じることができる
  8. 他者による評価は,私の指針にはなれない
  9. 私にとって,体験こそ最高の権威である
  10. 私は体験の中に秩序を見出すのが楽しい
  11. 事実は味方である
  12. 最も個人的なものが,最も普遍的なものである
  13. 人間は,基本的に肯定的な方向性を持っている,というのが,私の経験である
  14. 人生は,その最善な状態においては,流れゆき,変化していくプロセスである。そこでは,固定されたものは何一つない

特に印象的なのは,「他者を理解することを許す」と「内なるリアリティに開かれているほど急がなくなる」という点だ。苦手な相手に対しても理解を「許す」という姿勢や,自己一致によって焦りが消えるという指摘は,ロジャーズの理論が「自分軸」の確立を目指すものであることを示唆している。

また,諸富氏は心理療法の本質を次のように解説している。

クライアント中心のセラピストとの関係の安全性においては,自己に対するいかなる現実的な脅威も暗黙の脅威も存在しない。そうした関係の中でクライアントは,自分自身の体験のいろいろな側面を,実際に自分に感じられるままに,五感の器官や内臓感覚的な装置を通して感じられるままに,今の自己概念に合わせるために歪曲することなく,吟味していくことができる。

『カール・ロジャーズ カウンセリングの原点』p.43より引用

カウンセリングや心理療法の役割は,クライアントの体験に外から何かを加えることではない。クライアントがまだ気づいていない,暗黙のうちに体験しつつある自己の体験を,より十分に体験し尽くすことができるようにすることである。そこから,新たな気づきや意味が生まれてきて内臓感覚に繋がるのである。


ロジャーズの発見のうち重要なものとして,カウンセリングや心理療法の中でクライアントに共通する変化の方向性がある。

  • 見せかけのものから離れる
  • 「べき」から離れる
  • 他のひとの期待に沿おうとすることをしなくなる
  • 他者を喜ばすということから離れる
  • 自分で自分を方向づけるようになっていく
  • 過程的であることに向かっていく
  • 複雑さに向かっていく
  • 自分の内側の体験に対して開かれるようになる
  • 他者を受容することに向かっていく
  • 自己を信頼するようになる

ここでもやはり,ロジャーズのカウンセリング論を他人軸・自分軸の二元論で語るならば,明確に「自分軸」へと向かっていくプロセスであることが分かる。さらに,クライアントが固定的な状態から脱し,過程的・流動的となって変化そのものを生きようとすることや,自らの感情が複雑であることをあるがまま認識することは,万物は流転するという日本の「諸行無常」の観念にも通ずるものがあるように感じる。


ロジャーズの功績の一つに,カウンセリングを「開かれたもの」にしたことが挙げられる。従来,カウンセリングは極めて秘匿性の高いものであり,その閉鎖性によってクライアントの心理的安全性が確保されると考えられてきた。しかし,ロジャーズは実際の面接のやり取りを録音し,全世界に公開するという画期的な行動に出た。当時は1分間に78回転するディスクを3分ごとに交換しなければならないという多大な労力を要したが,彼は研究への情熱からそれを厭わなかった。このカウンセリングプロセスの可視化は,心理療法の科学的検証と発展に計り知れない寄与をもたらしたのである。

ロジャーズはこの録音テープをひたすら聴き続け,クライアントの変化を7つに区分した。

第1段階:体験が固定的で隔絶されている。自分について話したがらない。自分の問題を意識していない。

「そうですね。特に必要な時でもない限り,自分のことを話すなんてちょっと馬鹿げた感じがしますね」

第2段階:問題が自分の外部として認識される。感情は自分のものではなく,考えは事実として語られる。

「私は,何一つ,正しくおこなうことができないんです」

第3段階:他人のことを話す中で自分自身について語られ始める。自分の感情は受け入れられない。

「私がみじめになるのは,不思議ではありません。私もいい人ではないことがわかってきました。」

第4段階:過去の感情が流れ出るようになり,時折突き破るような形で現在の感情が出てくる。

「あ,いいんです。私は,先生なんか,信じていませんから。」

第5段階:感情は現在のものとして自由に表現され,にじみ出る。本当の自分でいたいという願望が出る。

「怖いという感じが出てきたんです…(長い沈黙)…うーん,それがどんなものか,とらえようとしているんですけど…」

第6段階:現在の感情が,ただちに,豊かさをもって直接に体験される。否定も恐れもない。

「あぁ,こんな感じです…おねだりしている子どものような感じです…これまで一度も感じたことがないような感じです…とても不思議です…自分でもよくわかりません…今まで全然知らなかったものが突如として出てくるんです…」

第7段階:新しい感情が,ただちに,豊かさをもって体験される。それは参照体として利用される。

「わかります…それがどのようなものか…私は人を喜ばせなくてもかまわないんです。人を喜ばせるか喜ばせないかは,私にとって重要なことではないんです。ただ自然に浮かんできたことを言えばいい,そしてそれが人を喜ばせても喜ばせなくてもかまわない…そう思えたら,すごい!どんなことでも言えるでしょう」

第7段階こそ,カウンセリングの本質であると私は理解している。ここでは,絶えず変化する感情をプロセスとして受容できるようになり,その流動的なプロセス自体に基本的な信頼が置かれている。自分の内側でのコミュニケーションが極めて明確になり,刻々と生じる新たな感情に対して,それに相応しい新鮮な言葉が見出されていく。これにより,かつて自分を縛り付けていた固定的な「個人的構成概念」は,今後の体験を解釈するための暫定的な参照枠へと再形成され,もはやそれに固執することはない。このような在り方こそが,内臓感覚を伴う「自己一致」の極致なのであろう。


本書の第3章では,ロジャーズの生涯に焦点を当てている。ここでは,本書からロジャーズの人生を紐解く背景を引用したい。この記述に触れるだけでも,世間一般に流布している「穏やかで聖人君子のようなロジャーズ像」がいかに実像から乖離しているかを,まざまざと認識することができる。

ロジャーズが育った家庭は,キリスト教ファンダメンタリズムの厳格なルールと信念システムに縛られたガチガチの家庭であった。デートは疎かカード遊びさえ許されない,感情を表に出すのもよしとされない「抑圧家族」であり,そのためロジャーズはその後,「楽しむことが下手」「自分の感情,特に怒りを表現することができない」「他の人との親密な関係を作るのが不得手」といた,さまざまな硬さやとらわれ,不自由さを抱えて生きざるをえなくなった。そしてその後も,うまくいかない女性のクライアントを抱え込んで中年の危機に苦しんだり,70歳を超えて絶えず家族の問題に苛まれ,毎日一瓶のウォッカを空けてアルコール漬けになったり,老いた妻を置き去りにしてセックス・パートナーを求め続ける日々が続いたのである。

このように,その華々しい職業生活とは裏腹に,個人的にはかなり苦渋に満ちていたロジャーズの人生。それは,自分らしくあることを許されずに幼少期を過ごした彼が,まさに血みどろで,「自分自身」を取り戻していく苦しい闘いのプロセスであった。

『カール・ロジャーズ カウンセリングの原点』p.92-93より引用

彼の人生の詳細は本書に譲るが,本稿では本書の見出しを列挙することで,その波乱に満ちた歩みを垣間見ていただきたい。

  • 空想癖のある少年時代―「ぼんやり教授」「ムーニーさん」
  • あまりに厳格な家庭
  • 勤労の美徳
  • 大学入学と新たな自由の獲得
  • 中国への旅―「家族からの自立」の大きな契機
  • ヘレンへのプロポーズ,結婚
  • 神学から心理学へ
  • アドラー,ランクから影響を受ける
  • 就職と自宅の購入
  • 児童臨床への没頭とロジャーズ理論の萌芽
  • 「クライアント中心」の発見―「ここでは大人のカウンセリングはやっていないのですか」
  • デビュー作『問題児の治療』の刊行
  • 所長職をめぐる精神科医との対決
  • 大学教員へ
  • カウンセリングの「録音」と「逐語記録」を世界ではじめておこなう
  • ロジャーズ,敵陣での決戦に挑む
  • 『カウンセリングと心理療法』での「現代カウンセリングの確立」
  • 現代「カウンセリング」の創設
  • シカゴ大学で全盛期へ
  • 医学部との対決
  • 技法から態度へ
  • アクティブ・リスニング
  • 「中年期の危機」
  • 「一致」の強調
  • リサーチャーとして評価され,第1回特別科学貢献賞を受賞
  • スキナーとの論争
  • 代表的な論文「治療的人格変化の必要十分条件」の刊行
  • 「自己概念の変化」研究から,「変化の瞬間」研究へのシフト
  • 『On Becoming a Person』の大ヒット,一躍スターに
  • ウィスコンシンでの野望と挫折
  • アカデミズムに別れを告げ,エンカウンター・グループ運動へ
  • 「人間研究センター」
  • 60代,70代の苦渋
  • 72歳で恋に落ちる
  • ピース・プロジェクト
  • スピリチュアルな次元への目覚め―残された最後の課題

私が最も印象的だったのは「中年の危機」に関する記述である。本書を読むまでは順風満帆だと思っていたロジャーズの人生だが,47歳から49歳にかけて経験した重症の女性クライアントとの面接が,彼の人生を揺るがす深刻な危機を引き起こした。そのクライアントは「ロジャーズという人間のボタンの押し方」を完全に見抜いており,彼が最も傷つく部分を執拗に責め立てたという。

ロジャーズはすっかり自信を喪失し,2〜3ヶ月もの間,家を空けて「逃亡旅行」に出るまでに至る。「自分は人間として値打ちがないばかりか,心理学者や心理療法家としてもはややっていけないのではないか」と,廃業寸前まで精神的に追い込まれたのである。こうした絶望の淵にいた彼を救ったのは,皮肉にも彼自身が育てたスタッフの一人であった。ロジャーズは教え子のセラピーを受けることで,自らの弱さを自分の一部として認め,受け入れるプロセスを歩んでいったのである。


アルバート・エリスは「ロジャーズの方法はとにかく傾聴するばかりだが,それはクライアントの依存性を助長するためよくない」と批判する。しかし筆者は,ロジャーズが考える傾聴の真の目的は「クライアントが自分自身を傾聴できるようになること」にあると説く。つまり,クライアントの依存を招くような傾聴は,ロジャーズの観点からすればそもそも失敗例に過ぎないということになる。真の傾聴とは,クライアントが深く聴かれる体験を通じて,それまで自分でも気づかなかった内なる感情を自ら汲み取れるようになっていくプロセスなのである。以下は,ロジャーズ流の「ほんものの傾聴」の本質を筆者が一言でまとめた部分である。

「自分自身への傾聴」にはじまる「内的な自己探索の旅」の同行者。それがカウンセラーである。そして,こうした体験が深まってくると,私が「一人でいるような,二人でいるような感じ」になってくる。

『カール・ロジャーズ カウンセリングの原点』p.174より引用

特に,クライアントが自己と経験に関する内側の最も深い領域を探求していく際の「同行者」となることについて,ロジャーズは以下のように表現している。

being a companion to the client in the client's search for the innermost aspects of self and experience

『カール・ロジャーズ カウンセリングの原点』p.175より引用

世間一般では,「受容・共感・一致」の三要素を満たせば「ほんものの傾聴」を体現できると論じられがちだが,本書ではその順序が逆であると指摘している。ロジャーズがセラピストとして「ほんものの傾聴」を体現しているとき,その自らの在り方を三つの異なる角度から記述したものが,「受容・共感・一致」という三要素なのである。

筆者は,深い「ほんものの傾聴」が通常の傾聴(単に話を聴く行為)と決定的に異なる点として,「意識モードの違い」を挙げている。意識を鎮め,世間の時間と連動した日常的で表層的な時の流れを止める。そうすることで意識の中に「スペース」が生まれ,より深い時間の流れへと入っていくことが可能になる。これが「脱日常的な深い意識のモード」であり,この変容によって初めて,クライアントは自らの深層に触れながら言葉を発することができるようになるのだ。

この意識モードに加え,「すべてのことに開かれた態度」もロジャーズ流カウンセリングの極意であると筆者は主張する。セラピストは己を消してひたすらクライアントの話に耳を傾ける一方,同時に自分自身の内なる声にも耳を澄ませていく。さらには,カウンセリング空間に漂うあらゆる事象(身体感覚,不意に浮かぶイメージ,聞こえてくる音,空気感,微かな違和感など)に対して,等しく無条件に意識を向ける。ロジャーズの説く「受容」とは,この次元の受容を指しているのである。そこに「これは○○の意味がある」といった安易な解釈や分析が入り込む余地はない。この指摘は,私自身にとっても非常に耳の痛い話であった。

また,「ただそこにいること」もロジャーズ流を語る上では欠かせない要素である。1962年,ロジャーズが統合失調症の入院患者ジム・ブラウン(沈黙する少年)と対峙した有名な事例がある。166回にも及ぶ面接を通じて,ロジャーズがただ沈黙の傍らで「ただそこにいること」を体現し続けた姿勢は,その象徴的な具体例といえる。

以上を総括し,筆者はロジャーズ流の「深いほんものの傾聴」とそれ以外の「普通の傾聴」を分かつ決定的な違いとして,以下の四点を挙げている。

  1. セラピストが「より深い意識のモード」にみずからの意識モードを変容させていること
  2. 「すべてのものに開かれた態度」が保持されていること
  3. ただそこに,こころを込めて「いる」こと
  4. セラピスト,カウンセラーが自分を消して(無人格・インナーパーソナリティ),クライアントの内側の世界に自分を投げ入れ,そこに没頭し,融合して,あたかもクライアント自身に「なりきっている」かのような姿勢でいること

これらを体現している最中,クライアントの内界になりきっているセラピストは,時に「自分自身の元に戻ってこれなくなるのではないか」という恐怖に近い感情を抱くことがある。しかしロジャーズは,どれほど相手の内側世界に深く没入したとしても,いつでも自分自身の世界へと帰還できる確信があるからこそ,「無人格」となって相手に没頭できるのだという。「自分自身を傾聴することができなければ,相手を傾聴することはできない」という言葉の真の核心は,まさにこの自己への絶対的な信頼に裏打ちされた没入の深さにあるのかもしれない。


ここまで見てきて分かる通り,クライアント中心療法の「クライアント中心」とは,「クライアントの内的な世界」を中心にするという意味である。決して「自己中心」の対義語や,単に「温かく受容的である」といった程度の意味ではない。巷でよく解説される「リフレクション」も,本来はセラピストが相手の内界に入り込み,そこにあるものを「映し出し・伝え返した」うえで,クライアントからのフィードバックを受けてそのイメージや言葉を修正していく共同作業を指す。しかし,単なる「オウム返し」をすればよいという誤解が後を絶たない。

傾聴の三要素のうち,「受容」については既述の通りである。「共感的理解」とは,クライアントが言わんとすることのエッセンスを,相手の心の「内側」に立って,あたかもその人自身になりきったかのような姿勢で的確に伝え返していくプロセスを指す。また,ブライアン・ソーンは「一致」を「深い受容と共感的理解を行っているときに,同時に自分自身に対しても常に深い受容と共感的理解を行っていること」と定義し,本書の筆者は「内側で進行している内臓感覚的体験との一致」と説明している。特に前者の定義に照らせば,三要素は単なる並列関係ではなく,受容と共感的理解が体現されて初めて「一致」が立ち現れるという順序性が見て取れる。いずれにせよ,本書冒頭で強調されていた「内臓感覚」に意識が向けられることが,深い本物の傾聴には肝要なのである。

河合隼雄は,これら三要素は傾聴の基本ではなく「究極の目標」であると指摘した。筆者は,三要素が達成できない場合にセラピストが依って立つべき理論的な手がかりを欠いている現状を危惧し,それは理論に踊らされている人間側の責任であるとまで主張する。三要素を形式的に足し合わせたところで,ロジャーズ流の理想のカウンセリングが実現するわけではない。まずは我々が,原著や本書のような忠実な文献を通じて,ロジャーズの説く理想の在り方について各々が深く思索することが重要なのである。


本書の特徴は,第6章「1955年のロジャーズとジェンドリン」に凝縮されていると私は考えている。この章では,ロジャーズの全盛期を軸に,彼を取り巻く重要人物たちが「誰が,どのような契機で,何を成し遂げたのか」が克明に描かれている。なかでも筆者は,ユージン・ジェンドリンという人物がロジャーズの研究に与えた影響を核心に据え,ロジャーズの傾聴論を変遷のストーリーとして鮮やかにまとめ上げている。

特に興味深いのは,ロジャーズの金字塔とも言える論文『治療的人格変化の必要十分条件』などの刊行と同時期に,チーム・ロジャーズの一員であった大学院生が,その理論を真っ向から否定する論文を発表したエピソードである。ロジャーズが提唱した「受容・共感的理解・一致」の三条件は,必ずしもすべてのクライアントに有効なわけではないとする痛烈な主張であった。筆者はこの状況を,「真実の探求のみが推奨される,真に自由で活気に満ちた研究チームの風土があったからこそ可能になったこと」と高く評価している。

この反論に対し,ロジャーズは「事実はいつだって味方だよ」と応じ,若き研究者の指摘が真実を射抜いていることを冷静に受け止めていたという。これを機に,ロジャーズは「クライアントが変化するとはどういうことか」という新たな命題へと舵を切ることになる。それは,「カウンセリングの前後でどう変わったか」という旧来の静的なモデルから,「変化が生じているまさにその瞬間,クライアントの内側で何が起きているのか」を探求する動的な新モデルへの劇的な転換を意味していた。

一方で,ロジャーズ自身は「どのようなタイプのクライアントにも当てはまる必要十分条件である」という姿勢は崩さなかったといいます。柔軟に相手の意見を採り入れながらも,自分の軸は確固としてぶらさないロジャーズの人間性を垣間見るようです。ジェンドリンは,「なぜ必要十分条件が通用しないクライアントがいるのか」に着目してフォーカシングという概念を打ち出すことになりますが,筆者はフォーカシングをジェンドリンとロジャーズの合作であると述べられています。本書ではフォーカシングについても,筆者の体験や筆者自身の研究を引用したうえで,よくある誤解も踏まえたうえで詳細に解説がなされているため,詳細は本書を参照されたい。

筆者は,ロジャーズとジェンドリンの功績を以下のように言語化している。

「内臓感覚的思考」「直接体験しつつ考える思考」と「傾聴」の組み合わせは,人をして,その内側の「言葉にされたがっているけれども,言葉にならない暗黙の何か」に触れさせ語らしめることで,その人を固定化された文化,パターン,倫理の束縛から解放する。より自由に,より生き生きとさせ,文化や倫理のパターンの刷新と創出に向かわしめる。ロジャーズとジェンドリンがともに取り組んだこの共通の課題に着目して,筆者は二人を「内側からの革命家」と呼んでおきたい。

『カール・ロジャーズ カウンセリングの原点』p.342-343より引用

筆者は,ロジャーズの功績を以下の三点に整理している。

  1. 人がその内側で,内臓感覚的体験につながることで,あらゆる通念や内的な束縛から自らを解き放ち,より自由に,より自分らしくなっていくロジャーズの自己生成論,人間変化の理論
  2. 深い傾聴論。カウンセリング・心理療法による他者の自己生成,人間変化の援助・促進の理論
  3. 静かなる革命。心理療法やカウンセリング,教育,福祉,結婚,親子,夫婦といったあらゆる場面での関係性の転換によって,一人一人が自分の持つ可能性を最大限に発揮できるような関係性の探求

特に3.について,筆者は以下のように説明している。私自身,特に感銘を受けた箇所である。深い関係性を築くためには,単に事実や過去の出来事を深掘りするだけでなく,その瞬間に何を感じ,どのような想いを抱いたのかを重視しなければならない。相手になりきって共感し,その人の内側から「内臓感覚」を共に体験することこそが肝要なのである。

ロジャーズの「静かなる革命」は,「人間関係の変革から始まる革命」である。現代社会において最も強く必要とされているのは,「関係の変革」である。「関係の変革」を通しての「人間の変革」である。「他者を支配し制御しようとする関係」から,「他者をその内側から理解し受け止めていく関係」への変革である。

こうした「関係の変革」が生じるならば,その関係にある個々人の「自分自身との関係」も変わり始める。一人一人が自分自身を何らかのパターン(型)にはめて制御しようとするのを止めて,自分の内側深く,内臓感覚的な知恵とつながり始める。一人一人が,より深く自分自身であろうとし,既存の型(パターン)に従って思考し行動するのをやめる。さまざまな概念を絶えず内側の内臓感覚的な体験に突き戻し相互作用させつつ新たな何かを生み出しながら生きていく。それが新たな文化や社会の創出へつながっていくのである。

一人一人が,より自分らしく,ユニークで,創造的である社会をつくっていくことは,この世界の至るところで,他者をその内側から理解していく関係性を構築することから始まるのである。

『カール・ロジャーズ カウンセリングの原点』p.350-351より引用

筆者は本書で,ロジャーズの「静かなる革命」の具体的な実践として,「政治哲学」「エンカウンター・グループへの没頭」「健康保険制度の改善」「宗教的対立への介入」「ピースプロジェクト」「人種差別問題」など多岐にわたる活動を挙げている。それらの中には成功を収めたものもあれば,志半ばで挫折したものもあり,内側からの人間関係の変革がいかに困難を極めるものであるかを,読者は肌で感じることとなる。


ロジャーズは,自身や子どもの経験に基づき,独自の恋愛論や結婚論を展開している。私自身,彼の結婚論については未だ十全な理解には至っておらず,どこか机上の空論,あるいは極端な理想論のように聞こえてしまうのが正直なところである。

恋愛や結婚の中で人は相手を束縛し依存する。また愛されたいがゆえに,人は自分が自分であることを放棄する。愛する人の愛情を失うまいとして「愛されるための自分」を演じ始める。自分らしくあることを放棄するのである。

…人が人を好きになる時,強烈な「内臓感覚」が動く。パートナーが他の威勢を好きになった時に感じる「嫉妬」も,強烈な「内臓感覚」を伴う。

…「嫉妬」を乗り越える男女の関係は可能か―この問いに対するロジャーズの答えはイエスである。その条件は,パートナーの,他の異性との(セックスを含む)親密な交流とそれに伴う喜びに耳を傾け,分かち合うことである。「相手の過ちを赦す」などということではない。「私に魅力がないから,他の人を好きになるんだ」などと卑屈になって,自分を責めるのとも違う。「そうか,君は,そんな素晴らしい体験ができたのか。それはよかった。喜ばしいことだ」と,パートナーの,他の異性とのセックスを含む親密な交流の悦びを,我が事のように共に喜び,分かち合うことである。パートナーが他の異性と素晴らしい体験をできたことを共に喜ぶ姿勢である。

…一般には,パートナーとの関係は「他の異性を諦めること」「相手だけのものになること」で強められていくと考えられている。他の異性を好きになったり,ましてや肉体関係を持つことは,パートナーシップを破壊する行為(不倫)として戒められている。ロジャーズの考えは,これとは真逆のものだ。

…特定のパートナーがいたとしても,他の異性を好きになったり,身体的な接触をしたいと思うのは,とても自然なことだ。その気持ちを抑え込むことなく,パートナーと率直に語り合い分かち合う方がいい。場合によっては,肉体関係を持ったこともパートナーとの間で率直に分かち合った方がいい。そうすることで,パートナーとの関係はさらに強固で永続的なものに育っていく,というのである。

…ロジャーズがこのような新しい性的な関係性について当てたキーワードは,「衛生関係 (Satellite Relationship) 」という概念である。…従来は「愛人」「不倫」といった言葉でネガティブにとらえられていた関係に「衛生関係」というユニークな名称を与えて,肯定的にとらえ直すのである。

『カール・ロジャーズ カウンセリングの原点』p.376-382より引用

ロジャーズは,豊かな結婚生活の三カ条として以下を挙げている。

結婚は固く動かない建物ではなく,流れる川である

パートナーシップは「契約」ではなく「継続するプロセス」である。二人の現在の関係が持つ変化の過程に働きかけていくことが大切。(キリスト教の出自であるロジャーズがこのような主張をしていることに改めて驚く)

肯定的なものであろうと否定的なものであろうと,自分の内側で生まれてきた深い感情を相手と語り合い分かち合うこと

お互いを理解するために,どんなニュアンスの感情であれ分かち合うことが大切。

相互に独立した二人の人間が,自分自身を発見し,それを認め合い分かち合うこと

性生活の満足が条件に含まれていないのは,独立した自己になっていれば性生活も自ずと発展しいくと考えているからである。


ロジャーズの静かなる革命は,教育の分野にも及ぶ。

教師は,教科の内容を教える人間 (teacher) としての役割を捨てるべきだ。生徒は,みずからの問いに従って主体的に学ぶ「学習者」である。それゆえ教師は,その学習の過程の「促進者 (facilitator) 」であるべきだ。

…「教えることによって生じる効果は,取るに足らないものか有害なもののいずれかである」

『カール・ロジャーズ カウンセリングの原点』p.392より引用

このようなロジャーズの教育論は,キルケゴールの「重要なことは他者に直接伝えることはできない」という「間接伝達論」に立脚している。そしてキルケゴールは,「産婆術」で知られるソクラテスの思想を継承している。ソクラテスの対話においては,対話者は自らの考えの矛盾(アポリア)に直面せざるを得ない状況へと導かれる。このソクラテス,キルケゴール,そしてロジャーズへと連なる「対話法」の系譜は,極めて興味深いものである。

ロジャーズは,かつて「必要条件論文」で示した「セラピストとクライアントの関係に一定の特質が見出されるならば,そこには自ずと変化が生じる」という心理療法の基本的仮説を,以下の三点に集約した上で教育分野へと発展させようとした。

  1. 学習の促進における真実さ(促進者は何の仮面も着けずに,あるがままの姿で学習者と関係に入る)
  2. 大切にすること,受容(学習者を一人の人間として尊重し,受け入れる)
  3. 共感的理解(評価するのではなく,学習者をその内側から理解する)

ロジャーズは様々な組織において「静かなる革命」を試みたが,宗教的な衝突や人種的な摩擦といった根深い構造的問題に阻まれ,いずれも頓挫している。筆者も指摘するように,これらの失敗事例は,既存の価値観を根底から覆すような教育改革を断行する際に直面せざるをえない巨大な困難について,極めて重要な示唆を与えてくれる。


最後に,本書の「おわりに」から,今こそロジャーズを学ぶべき理由を記した部分を引用して本稿を締めくくりたい。

人生100年時代,と言われる。長くなった人生の中で,若者ばかりでなく,多くの中高年が,「私は,これからどう生きていけばよいのか」「どうすれば,残りの人生を意味あるものとしてまっとうできるのか」わからず,彷徨っている。人生の暗闇の中で迷いの中にある。不確かさの中で,孤独に自らの人生の道を探している。

ロジャーズのアプローチは,人が自分の内側の最も深いところを探求していく「内的なこころの旅」の「同行者」となることである。

ロジャーズのクライアントは言う。「暗闇に向かって歩いている感じがしています。(中略)でも誰か,同行者がそばにいてくれると,一人でいるのに比べて,とても楽になれるんです」

多くの人が,「内的なこころの同行者」を求めているのではないだろうか。

今こそ,ロジャーズを学ぶ時である。

『カール・ロジャーズ カウンセリングの原点』p.442より引用

参考文献

KADOKAWA
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